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京都コラム 2025/08/02

京都弁(京ことば)は文化遺産級かも

日本には、各地方の方言(言語)があり、それぞれ地域文化を表現するものとして、特色のあるものです。

京都弁(ことば)

京都にも独自の方言があり、関東圏からみると上方言葉(関西弁)のひとつとして見られる事が多いのではないでしょうか。この独自の方言を京都人は京都弁と言わず「京ことば」と呼んでいます。

それは、京都が1000年もの間、日本の中心であった事や、今もなお伝統文化の中心として、古都の機能を果たしている事で、京都弁は地方の「方言」ではなく、また「標準語」でもない、言葉自体が文化である「京ことば」として定義している様に感じます。

「京ことば」の由来

古くから京都では、公家の間で使われていた「御所ことば」と、街中で使われる「町方ことば」があった様です。江戸においても、武士言葉と町人言葉があったのと同様に、その階層制度が廃止された幕末から明治にかけて、それらが混ざり合い、現代の言葉として変容しています。

「京ことば」の二面性

独自の精神性と共に育んだ京都の「ことば」ですが、その言葉の使い方も特徴的であり、コミュニケーションに使われる言葉に二面性(裏・表)の意味を秘めいている場合が多くあります。例えば、優しい言葉かと思えば皮肉であったり、また言葉のイントネーションによって言葉の意味が逆を示す事もあります。「おおきに」は「有難う」を意味しますが、イントネーションによっては「結構です」と否定的な意味になる。「エライ」は「偉い・立派」を示す尊敬語ですが、これも状況によっては「ひどい・大変」を示すものになります。

言霊の存在

言葉を直球で受け取ると、京都では「空気の読めない人」とレッテルを貼られてしまう恐れがあります。この様な言語文化ですが、基本的には相手を気遣い、先回りし言葉を選ぶ精神文化があるのだと解釈しています。気遣う「言葉」と、先回りする「言霊」が時間差で問いかけてくる、その独特のリズムは、他の上方言葉(関西弁)にはない独自のものを感じます。

 

言葉の大事さ

日本は、「ひらがな」、「カタカナ」、「漢字」がありますが、英語や、隣国のハングルなどの合理的な言語と比較すると、非効率で習得にも時間がかかり、その必要性を一度は疑った事があるのではないでしょうか。

しかしながら、言語が複雑になればなるほど、緻密な思考回路が養われ、論理的な構成力を得て情緒的で繊細な表現を可能とします。おそらく古文や漢文が大好きな方は少ないと思いますが、若い頃から学ばせる日本の教育は間違ってない様に思うところです。

そんなことで、「京ことば」は文学的で、より複雑な心理を表現し深いコミュニケーション力で、京都人は言葉で遊び、そして、京都人は「京ことば」を、地方の「方言」と、一線を画したいのです。