急速な再開発と残される遺産「銭湯」
京都市内には多くの銭湯が残存し営業しています。京都市は第二次世界大戦での大規模な空襲を免れたことで、戦前から営業する古き良き老舗銭湯が多く残っております。むかしながらの風情で、脱衣籠に衣服を入れ、棚に収納する。あんまマッサージ機があり、ナショナル製の扇風機が昭和の風を送る、なんともノスタルジーな空間です。
銭湯の歴史
この銭湯の文化は古く、江戸時代では庶民の社交や娯楽の場所として賑わっていた記録が残っています。日本での公衆浴場文化の発達は、島国独特の湿度と季節の温度変化の中で、身体の清潔を維持する為の施設としてだけではなく「裸のつきあい」的な社交の場として、日々の娯楽として賑わっていたのでしょう。
銭湯の経営
しかし、この古くからある銭湯も、残念ながら近年の燃料費の高騰や施設の老朽化やなどで経営が難しく、また後継者不足による事業継承の断念などで年々減少しています。自治体も様々な支援を行っておりますが減少を止める効果的な対策とはなっておりません。
鉄分の多い京都の地下水
京都は盆地になっており、周囲の山から流れ来る地下水が豊富にあり、また、琵琶湖から人工的な用水路(琵琶湖疎水)もあり水の豊富な土地です。そんなこともあり、京都の銭湯の9割近くは、地下水を利用しておりますが、鉄分が豊富なその地下水は、一旦、除鉄する必要があり手間が掛かるそうです。この様に、民間経営での銭湯は、様々な課題が山積しご苦労されています。
京都市立の銭湯
京都市内には、民間経営の銭湯とは別に7つの京都市立銭湯があります。形態は、民間の銭湯と同じく、脱衣所があり浴槽やサウナ、水風呂がある、ごく一般的な銭湯です。なぜ市立なのでしょうか?京都市のホームページでは、市立の銭湯について、「市民の保健衛生と生活環境改善向上を図る事を目的とし設置する」としておりますが、その設置は、大正期に遡り京都市内に点在した非衛生地区の生活改善を目的とした社会事業としてスタートしています。また、それらの地区に浴場施設を設置する事で、未整備であったインフラ(水道・排水)などを整備するきかっけにもなったとの事。つまりは、市立銭湯設置は京都の再開発の足掛けとしての役割を担っていたとも言えます。
歴史の証人
それらの地区も次第に再開発がすすみ、近代的なマンションやホテルが建ち、大学などの高等教育施設など誘致され、それまでの環境から様変わりしています。そんな変わりゆく町並みの中で、市立銭湯だけが、取り残され細々と周辺の住民の方々に利用されています。ノスタルジーな風情に浸ることの出来る「銭湯」がこれからも継承されていく事を願うと共に、国際的観光地として変化をみせる京都市に、それまでの京都の裏歴史を見てきた証人として、銭湯は残り続けてほしいものです。