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SKY MISSION

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Concept Talk
WITH Shin Takamatsu

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Concept Movie
"to Sky Misson"

建築家・高松伸
Concept Talk

Concept Talk WITH Shin Takamatsu

Section1 建築

Section2 自然

Section3 京都

Section4 SKY MISSION

Section1

人間の根源的な行為と
常に共にあるものが建築である。

──この「SKY MISSION」は、建築家・高松 伸がデザインする住宅建築として、どのような想いで設計に着手されたのですか?

高松 伸(以下、TS):私は常に建築を考えています。建築は、時に人が暮らす住宅であったり、時に神様の住む家であったり、時にミュージアムのように人々が集う場所であったり、時に人を祀ったり弔ったりする場所であったりします。従って、建築は常に人間の根源的な行為と共にあり、あらゆる建築の本質は不変であると考えています。そういう意味で、住宅を設計する時もことさら住宅だけのことを考えているわけではありません。人がそこで生き、そこで誇りを持って死ぬことができるような、かつそこで築き上げたものを次の世代に繫いで行くような空間を常に創造することこそが私にとっての設計なのです。それは住宅においても何ひとつ変わりません。

──建築を考える時には、美術館であろうと住宅であろうと特に関係はないと。

TS強いて「住宅」という言葉にこだわるとするならば、そこで生活することが、そこで生きることが、何らかの発見であるような建築、日々の営みの中で新たな喜びや新たな愛を見つけることができるような、そういう建築を「住宅」と呼ぶのかも知れません。

──「SKY MISSION」は木造の建築であり、これまでの国内外の高松 伸によるプロジェクトにおけるコンクリートや鉄を主とした建築とは異なっています。素材の変化に対する意識はありますか?

TS私はコンクリートも鉄も自然の素材、即ち自然の恵みであると考えています。当然のことながらガラスも木もそうです。建築とは基本的に自然そのものです。
私は島根県の生まれで、親戚が出雲大社の近くにあり、子供時代はその境内でいつも遊んでいました。実は、私が建築家になろうと思ったきっかけはこの出雲大社にあります。十歳くらいの時ですが、ある時いつものように出雲大社の境内で遊んでいると地元の子ども達がいつの間にか皆いなくなってしまい、気がつくとひとりになっていました。そして、フッと振り返ると、夕陽を背に本殿がとんでもない大きさで眼前に迫っているのに気がついて足がすくんで動けなくなったんです。いつのまにか涙を流していました。今になって、改めてその時に感じたものが何だったのだろうと考えると、人が日々そこで便利に暮らすことができるということはさておき、我々が人間であるという根源的な認識を揺るがすような力を有する存在こそが建築であると言うことができるかもしれません。かつ、今にして思えば、その時の私にとって建築であったのは、その存在が木で作られているということだったのです。そのことが長い間記憶の底に眠っていて、数年前位から少しずつ姿を現し始め、いつしか木で建築を造りたい、そしてその木の建築を通じて出雲大社のような根源的な建築を超えてみたいと思うようになりました。それはおそらく「大きさ」によるものではありません。そうではなく、木という素材が有するある種本質的な能力がそのことを可能たらしめるのではないかと考えています。建築でありながら、いわば建築を超えるような存在の誕生を手助けするような仕事が木を通じて可能になるのではないかと思うようになりました。今回の木造のプロジェクトも、私にとってはそうした想いの中のひとつとして位置づけることができると考えています。

──コンピューターを使わず、自らの手を使って空間を描き出すことの真意とはなんですか?

TS私も一時期コンピューターを使っていました。それで極めて単純な事に気がついたのです。それは、コンピューターは間違わないということです。点と点を定めさえすれば正確無比な直線を描きます。ところが手は間違えます。身体というものは実にふつつかです。とはいえ、時に思いもよらない曲線や震えた直線が生まれたりします。そして、そのような曲線や直線が逆に身体の運動を触発するようなことがあります。時にその運動が全く新しい建築を導くこともあるのです。手に鉛筆を持って描く"世界"は紙です。どんな小さな紙でもそこが"世界"です。紙と言う"世界"には自ずから境界があります。しかしながら手の運動が開くイメージや想像力はそのような境界を軽々と超えることができるのです。その時に建築が生まれます。それが私にとっての設計という行為なのです。手によって境界を超えること。それが私にとっての創造のプロセスです。

──描き続けるしかないのですね?

TSそうです。描けば生まれるという保証は全くありません。がしかし、それ以外に方法は無いと思っています。時には何千枚も描きます。そのことに建築の誕生を託しているからです。ところで、その「建築の誕生」とは、ある時ある瞬間に突然建築が紙の世界に降り立ってくると言って良いかもしれません。かつ、極めて恐ろしいことに、その唐突に降り立った建築の姿は、それまでに描いた数千枚の中に求めても、その痕跡すら存在しません。とはいえ、その奇跡も、おそらくそれまでの数千枚のスケッチの厚みが無ければ決して訪れないであろうということもまた確かなのです。手の運動の厚みの中に建築が降臨する。その瞬間に立ち会えることこそ建築家の喜びです。

Section2

自然と建築は別ではなく、
自然と人間も互いに拮抗するような別の存在ではない

──先ほど「建築は自然そのものである。」と、仰っていましたが、もう少し具体的に教えて頂けますか?

TSコンクリートも鉄もガラスも木もすべて自然の恵みであると先ほど述べました。従って設計とは、そのような自然の恵みを建築という存在を通して自然に還すことだと考えています。ただし、その行為にはある種の作法が不可欠です。木造を例に引きましょう。かつて宮大工の西岡さんが「材木を買うな、山を買え」と仰っておられました。山で木を育て、その関わりの中から使う木を選べということだと思います。同様に木の育つ環境には「向き」があります。木の南向きと北向きは育ち方が違います。南向きには枝が繁り、用材にした場合には節が密集します。宮大工の世界に「木をそのまま使え」という教えがあり、従って、東大寺の柱などを見ると、南に面した柱は節だらけで、北側の柱には節がありません。その他にも「高所の木は構造材に使い、谷の木は化粧材に使え」という教えもあります。高所の木は日が当たるので強く、谷の木は日陰に育ち柔(やわ)ですが化粧材に使うと非常に美しい仕上がりになります。
このように自然から頂戴した素材を自然に還す技術には様々な作法があります。要するに自然と建築も、従って自然と人間も決して互いに拮抗する存在ではないということです。むしろ循環する総体のようなものであり、そのような結合を創造する唯一の方法が身体の能力であると私は信じているのです。

Section3

京都には、我々現代人が忘れてしまった様々な知恵が眠っている。

──京都に事務所を構えるということは、高松先生の創造の中でどういった意味を持っていますか?

TS私は京都大学卒業以来そのまま京都で仕事を続けてきました。一時はこんな古くさい街ではなく、もっと広い世界で様々な建築にチャレンジしたいと思ったものですが、時が経つにつれ少しづつ京都で仕事をすることの意味を見直すようになりました。そうすると京都には我々現代人が見失ってしまった様々な知恵が今だに息づいていることに気づき始めたわけです。我々、特に戦後生まれの建築家は西洋の技術や哲学に基礎を置く教育によって鍛えられ、そのような方法や知識こそが建築が寄って立つべき基盤であると信じ込んできました。ところが京都という都市や京都特有の建築物はそのような基準とは全く異なる技術や知恵によって形作られています。そのことに気付き始めて以来、京都にこそ拠点を置いて建築を創り続けようと思い定めたわけです。

──例えばそれはどのような特性ですか?

TSそのひとつが"寸法体系"です。建築や都市を形成する基本がこの"寸法体系"であり、我々はメートル法という"寸法体系"によって徹底的に教育されています。ところがこのメートル法に比べると、京都の建築や都市を決定している"寸法体系"は少し縮んでいると言うことができます。その"縮んだ寸法体系"が何に由来するかは定かではありませんが、京都の生活様式は女性中心であるため女性の身体寸法が基準になったのかもしれませんし、平安以後の貴族の細やかな所作に基いて生まれたものかもしれません。どちらにしろ、この"縮んだ寸法体系"が私にとって古くはあるが全く新しい方法なのではないかと考えています。ともあれ、そのような方法を意識的に用いて設計すれば、メートル法に従うとえてして身体感覚とは遠くかけ離れた存在になりがちな鉄とコンクリートの建築ももっと私たちの居ずまいや佇まいに寄り添うことが可能な建築を創ることが可能になるかもしれません。今回の「SKY MISSION」ではそのことを極めて強く意識しています。京都の町家などを訪れていただくとすぐに分かるのですが、出入り口の高さや襖の引手の高さなどが微妙に低いです。そしてそのようなしつらえが実はなんとも心地良いのです。要するにこのような"縮んだ寸法体系"に関わらず、京都にはまだまだ失われてしまった技術や知恵がたっぷりと息づいています。そのような奥深い知識を学びつつ、現代の建築を創造することができればと考えています。

──日本ならではの空間の良さについて、心がけていることはありますか?

TS日本ならではの空間の特性は、京都の建築の文化に深く依拠しています。またまた例え話になりますが、京都の風情を代表する界隈のひとつ先斗町でかつてお茶屋さんを設計したことがあります。お茶屋さんとは京都の旦那衆がお客様をもてなしたり、時に遊びに興じたりする商家のことです。そのお茶屋の女将さんから依頼を受けたわけです。当然全く経験がないため、参考資料を漁って見よう見まねの案を携えて臨んだところ、しばらく図面を眺めた女将さんはいきなりその図面を放り出してしまいました。で、一言。「あんた分かってへんな!」。「え、どこがですか?」と尋ねる私。やおら図面を拡げた女将「この床の間の違い棚の前にお客さんが座らはんにや。これでは違い棚がお客さんの首を真横に切ってしまうやおへんか。そんなおもてなしなんかあらへんで!」続いて"上り框"。舞妓さんや芸妓さんが履物を脱いで上がる一種の敷居のようなものですが、これを私は大学で教えられた"適正寸法"25㎝で設計していたわけです。で、またもや女将「あんたホンマに分かってへんな!これだと芸妓さんの裾が割れてしまうやおへんか!どこの大学でてんねん!」。こういうやり取りが延々と続く中で、私の目のウロコはひとつ残らずはがれ落ちてしまった訳です。要するにこのような細やかな立ち居振る舞いの微妙な所作の中から京都の建築、ひいては日本の建築が形作られてきたわけであり、ある意味これからますます洗練を極めるであろうと信じています。

──空間だけではなくおもてなしの方法も含め女性を中心として住宅を、建築を考えると面白いですね。

TS京都特有の建築における様々な詳細が女性の生活様式に培われたものであることは言うまでもありませんが、もとよりそれだけではありません。京都は平安遷都以来1200年の歴史の中で数多くの戦乱を経験しています。にもかかわらず京都がいわゆる滅亡するようなことは一度も無かったと言えます。ある意味その不滅の歴史の中で、その歴史ゆえに連綿と築き上げられてきた特異な空間構造が幾らか存在すると言えます。そのひとつが寝殿造りにおいて見事に昇華することになったとも言える「ハレ」と「ケ」の空間構造です。その構造はそれ以来の目まぐるしい権勢の移り変わりにもかかわらず現在まで不変であるとも言え、京都の佇まいの在り方を根源的なところで決定づけています。

──初めて手掛けた建築物「織陣」について教えて頂けますか?

TS「織陣」は私の処女作であると言ってよいでしょう。織物業が集積する西陣という地名と、もちろん「ORIGIN(根源)」を意識して命名したものです。ところで、クライアントは帯屋の旦那さんでした。奥で帯を織り、表で商いを営んでおられた家屋に呼びつけられたわけですが、開口一番いきなり「全部建て替える。君が設計しなさい!」です。ここが私が受けた教育の弊害なのですが、とはいえ当時は全くの駆け出しに違いないため、当然のことながら「どのような建築を設計すればよいのでしょうか?」といわずもがなの質問を返しました。すると御主人曰く「それを考えるのが建築家の仕事やないか。とにかく君がこれこそ建築だと思うものを創ってくれ。あとは心配せんでもええ。その建築をわしが使う」。目から大きなウロコが"ボロッ"と落ちました。つまり、建築の誕生の根源「ORIGIN」にいきなり触れさせていただいたわけです。ともあれ、この旦那さんのような人物こそある意味生粋の京都人と言えるのかもしれません。京都を離れるということは、このような人達から大切なものを学ぶ機会を捨てることになるのかもしれませんね。

Section4

空と共にどのようにあるべきなのか考えることがまさしく「SKY MISSION」です。

──建築と空というと天と地というような縦方向への意識が感じられますが、設計を進める中でそうしたものを意識しますか?

TS建築には、その建築の生成過程で必然的に帯びざるを得ない限界というものがあります。ある時はヴォリュームであり、ある時はスケールなどという限界です。とはいえ建築家は常にそのような限界がある時は物理的な手法によって、またある時には抽象的とも言える手法によって超えることを試みることを通じて新しい建築を創造しようとします。そういう意味で言うならば、「SKY MISSION」の場合、私にとって「高さ」という限界が最も挑発的であったと言えます。

──4つのデザイン〈BY THE SKY〉〈AROUND THE SKY〉〈WITH THE SKY〉〈INTO THE SKY〉はどのような思いを込めて命名したのでしょうか?

TS「高さ」への挑戦の根源には「空」への希求が存在すると言えます。考えてみれば、古来人間は「空」への希求無くして建築を創ってはいないわけです。空を引っ掻く(スクレープ)ような建築を創りたいという欲望が、スカイスクレーパーという建築物を生み出し続けて決して止むことはありません。住宅もまた同様です。空〈SKY〉との物理的、抽象的、そして時に詩的な関係無くして住宅は存在し得ません。つまり空とともにどのように生きるかを考えること、そしてそれをどのような住宅の「かたち」へと創造するか、それがまさしく「SKY MISSION」なのです。そのような過程で幾つかの言葉が誕生したわけです。
〈BY THE SKY〉空の傍らで生きる・・・。〈AROUND THE SKY〉空を囲んで生きる・・・。他でもないそのような言葉こそが私の身体を挑発し、私の手の運動を牽引し、そして私を建築の誕生へと導くのです。

TS「SKY MISSION」で生まれるであろうこの4つの住宅というのは我々が言うところの人工照明をすべて消してもその価値を失わない住宅だと思う。それは光と共にある、空と共にありますから。

突然、何か本質的なものに直面してしまう。それは誰にでもあることだと思います。
そういう風な何かに触れて欲しいし、その何かではない何かを見つけて欲しい。
空〈SKY〉との関係なくして住宅は存在しません。
空と共にどう生きるかを考えること、それがまさしく「SKY MISSION」であると信じています。

高松伸 島根県生まれ 建築家 京都大学名誉教授 工学博士
日本建築学会会員 アメリカ建築家協会( AIA ) 名誉会員 ドイツ建築家協会( BDA) 名誉会員 英国王立建築家協会( RIBA) 会員 1971	京都大学工学部建築学科卒業 1974 京都大学大学院工学研究科修士課程建築学専攻修了 1980 京都大学大学院工学研究科博士課程建築学専攻修了 高松伸建築設計事務所設立 1997 京都大学大学院工学研究科教授 2013	京都大学名誉教授

Profile

AROUND THE SKY

空をかこんで

夏の海辺に恋人たちが戯れるように
陽だまりに少女たちがひっそりとロンドを遊ぶように
ここでは、日々の営みを刻む時の軌跡を空が紡いでいる
まるで、空をかこんで、空に包まれてあるような家
まるで、空をかこんで、空に祝福されてあるような家
それがAROUND THE SKY

INTO THE SKY

空のなかへ

深々とした森に抱かれて木洩れ陽に天使を見るように
久遠の銀河の彼方に奇跡の刹那を願うように
ここでは、日々の営みの一瞬一瞬が空に祈りを捧げている
まるで、空のなかへ、空に招かれてあるような家
まるで、空のなかへ、さらなる空を求めてあるような家
それがINTO THE SKY

BY THE SKY

空のかたわらで

月が、夜毎星々のあわいをたゆむことなく歩むように
巡り来る季節が、そのたおやかな息づかいを丹念に織り成すように
ここでは、日々の営みのままに、空がゆるやかに巡り続けている
まるで、空のかたわらで、空に愛でられてあるような家
まるで、空のかたわらで、空にことほがれてあるような家
それがBY THE SKY

WITH THE SKY

空とともに

子供たちの心がおずおずと愛に開くように
春の陽に花々のつぼみがゆるゆると開くように
ここでは、日々の営みの全てが空に両手を晴れやかに差し延べている
まるで、空とともに、空にひたされてあるような家
まるで、空とともに、空に洗われてあるような家
それがWITH THE SKY

SKY MISSION

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