京都コラム
2025/07/01
お土産から考える「八つ橋」と「ルイヴィトン」 その共通性について
お土産の文化
長期休暇のあと、会社に行くと、休暇を過ごした地方や海外の「お土産」が積み上げられています。

このお土産の文化は古来のものなのでしょうか。日本には、古くから「国内旅行」がありましたがそのほとんどが、神社仏閣の参詣であったようです。つまりは、参詣は宗教的意義のみならず、娯楽でもあったのですね。
遠方の神社仏閣を参詣し、帰宅してから家族、親族、近所にその参詣の報告の意味でも、現地の物を持ち帰ることが共有を図るアイテムとしてお土産は重宝されました。
江戸時代には、庶民の旅も盛んになり、神社仏閣の門前や街道などでお土産が売られ、餅や団子など「名物」と呼ばれるものは発達していったようです。
お土産はギフト?
お土産とは、英語で言えば「ギフト」となります。とにかく、日本人は「ギフト」が大好きでたとえ嫌いな人にでも「ギフト」を用意します。
日本人特有のオートマテックな衝動なのでしょうか。しかしながら、その様な特有の文化がお土産を進化・洗練させ、その商品自体が「文化」となっています。
土着ブランド
東京に戻るときはいつも京都の「八つ橋」をお土産にします。その美味しさよりも、土地の「香り」を醸し出す商品企画は、さすがの老舗の技です。
また、「八つ橋」をみると京都から帰ってきたことを伝える抜群の訴求力があります。そんな抜群の訴求力をもった「八つ橋」ですが外国人が「八つ橋」を買っている姿を見たことがありません。
それとは対照的に、京都を訪れている日本人のおば様達の手には「八つ橋」の紙袋があります。
京都と銀座
なぜか外国人のおば様達が銀座でルイヴィトンの紙袋を持っているシーンと重なります。
それに共通するのはそれぞれが歴史を重ねた「ブランド」であることですね。「八つ橋」の味も「ルイヴィトン」のデザインも、洗練されているというよりも、素朴な土着的な、そんなものを感じますが、それが「ブランド」なんですね。
「ブランド」がオートマテックな衝動を喚起し、ついつい財布からカードを取り出してしまう。京都のお土産ブランドとして無敵の「八つ橋」、売り上げは依然絶好調のようです。